不必要なモノ。

 ボクらの今の暮らしは、いろんなモノに溢れている。そして、その全てが絶対に必要なものではない。エンターテインメント、グルメ、ファッション、どんどんカルチャーが生まれていく。

 必要なモノだけで生きていけたら、それはそれで素晴らしいことなのだろうけれど、今の世の中でもし必要なモノだけしか残らない状況が訪れたとしたら、それはおそらく非常に切羽詰まったところにボクらが追い込まれてしまっているということになるだろう。

 だから、不必要なモノが求められ、それらにみんなが喜ぶことができているというのは、ある意味健全なんじゃないかと思う。だから、ボクは不必要なモノをみんなに提供したい。そして喜んでもらいたい。

「差別」

 例えば、喜怒哀楽の発生だったり、痛みや悲しみの受け止め方だったり。人間ってこうだよなというのを経験として持ってる人が少なくなっている。それは、ボクたちが「現実」を生きなくなったからだろう。

 ネットによって多くの人とつながることができるようになった。けれど、その多くは実際の触れ合いではない。ゲームや読書で人間の感情を推測することが得意になっても、結局は推測でしかない。

 「個性」というものに煽られて、他とは違う人間であろうとしてきたボクたちが今すべきことは、電車の中で老人が立っていたら実際に席を譲ってみることだ。SNSに不平不満をつぶやくのではなく、面と向かってそれを相手にぶつけてみることだ。そして、その反応を記憶することだ。決して仮想現実や拡張現実といった世界に没頭することではない。

 「他人の気持ちがわかる。」ということを、経験を通して知ることこそが、ボクたちを寛容にし、他人を認めることへの一歩となるはずだ。

 

失敗について

 成功したことで変わった自分の姿を想像するから失敗した時に落ち込む。だから、成功すれば変われると考えるんじゃなくて、失敗したところで何も変わらないんだというふうに考えた方がいい。現状維持。振り出しに戻るだけ。いやむしろ、失敗という経験によって少し前進しているかもしれない。少しの前進でいい。落ち込む前に進もう。

 失敗した時に何かを失ったような感覚になることがあるけれど、それは何を失っているかというと理想像を失っている。だから、失っているように感じるけれど、あくまで理想像で未来の仮定な訳だから、現在形では何のマイナスも生じていない。それでもやっぱり、マイナスになったように感じるのは、人は何かを挑戦しようとした時点で、すでに未来に自分を持っていってしまっているから。成功した未来に。そういうわけで、目標というのを持つというよりは、常に現在形で生きる。目の前のことをコツコツやっていくという方が失敗しても前に進めるし、必要以上に落ち込むこともない。

 

 あまり理想を高く持たないことですね。